はじまりの『正しき人』ノア(後編)

☆目次

・20XX年4月3日
・20XX年4月8日
・20XX年5月3日
・20XX年7月1日
・20XX年9月2日
・20XX年10月15日
・20XX年12月10日
・20XX年12月24日
・エピローグ



・20XX年4月3日

私が今日付けで勤務することになったゲーム制作会社
「株式会社プロジェクトFW」の所在地は予想以上にいい立地条件にあった。
川を横断するように設計された巨大なタワーブリッジの最上階へと昇るエレベーターは、
360度を見渡すことが可能で、市街の中心部を一望することができる。
中東出身の自分にとっては肌寒いことが欠点だったが、
建物の中は当然のように暖房がきいており、快適に過ごすことができた。

エレベーターを出るとすぐに受付となっており、
担当と思しき女性が柔和な笑みを浮かべて待っていた。

「お待ちしておりました、アラム様でいらっしゃいますか?」

「ええ、配属先にご案内いただいてよろしいでしょうか?」

「承りました、ちょうどアラム様が最後でございます。
 皆様すでにお待ちですので、ご案内差し上げますね」

それほど時間ギリギリにきたつもりもなかったのだが、
よほどこのプロジェクトに参加する人々は熱心なのか。
私は柄にもなく、この仕事に心が高鳴るのを感じていた。
こんな高揚した気分になるのは、あの日から一度もなかったことだ。
・・・そう、最愛の妻と子を亡くしたあの日から。

*

案内された部屋の内部は想像以上のものだった。
ビルの3フロア分ほども天井をぶち抜いたと思われるような、
広大な空間の中央に巨大なコンピューターが鎮座している。
コンピューターに王というものが存在するとすれば、まさしくそれだ。
巨大なコンピューターからは無数のコードが伸びており、
ここから地球を支配してしまうのではないかというほどの威圧感さえ感じる。

しかし、奇妙なことに私より先に来ているはずのプロジェクトスタッフがいない。
そして、部屋の隅にはずらりとカプセルのようなものが並んでいる。

「少々伺いたい、私より先に来ているというスタッフは・・・」

そこまで聞いて、私は気が付いた。
ずらりと並んでいるカプセルの中1つをふと見やると、
その中には儚げな少女が横たわっていたのだ。年のころは10代半ばほどだろうか。
頭部に取り付けたヘルメットのような装置のせいで顔は口元しか見えないが、
相当な美少女であるように見受けられる。
両手で大事そうに何かを抱えているが・・・あれは、ウサギのぬいぐるみだろうか?

「もう皆様は『中』でお待ちですわ。アラム様もどうぞ、空いているコネクタをご利用くださいませ」

どうやら、このヘルメットのような装置は「コネクタ」と呼ぶようだ。
よく見れば中央の巨大なコンピューターにコードが繋がっている。
それにしても「中」とはどういうことか。説明不足もいいところだ。
・・・やはりあのような不審なメールで勧誘された会社に来たのは早計だったか?

色々と考えつつも好奇心が勝り、私はカプセルの中に横たわりすっぽりとコネクタを着用する。
目の前が完全に真っ暗になって視界が閉ざされる。

「ようこそ、プロジェクトFWへ」

受付嬢がカプセルを閉めるのと同時にそう言うと、
私の意識は一瞬にしてどこか遠いところへ連れ去られた。

*

・・・?

意識を無くしてから一瞬なのか、時間がたったのか。
私が目を開けるとあのカプセルの中にいた。
しかし、頭部に着用していたコネクタはなくなっている。

私は何が起こったか確かめるため起き上がった。
カプセルは内部からは簡単に開くようになっているようで、
中から天井に触れるとあっけなく開いた。

中央に巨大なコンピューターがあることは以前のままだったが、
先ほどまではカプセルが並んでいるだけで人気のなかった広大な部屋に、
10名余りがきょろきょろ周囲を見回したり談笑したりしている。

「お、ようやく最後の1人が来たね!プロジェクトFWにようこそ!」

警戒している私が馬鹿らしくなるほどの底抜けに明るい声のする方を見やると、
身長100cm余りの、少女というにも小さな女の子がいた。
オレンジ色のロングヘアーで、髪の毛がいまにも地面に届きそうだ。

「私がこのプロジェクトのチーフを任されたポテトよ。
 役職はゲームデザイナー兼ディレクターってところね」


・・・悪い冗談だ。こんな年端もいかないような子供がチーフだと?

「こらこらポテト。彼は『こっち』が初めてなんだから。
 ここがどういう場所なのか説明するところから始めないとダメでしょ?」


隣で別の黒髪の女性がポテトをたしなめる。
こちらの女性は20代半ばごろだろうか。

「ああ、そっかあ。受付もけっこう意地が悪いなあ、ちゃんと教えてないなんて。
 ・・・ま、君の驚いた顔がなかなかカワイイから許しちゃうけど」


ポテトはにんまりと笑ってこちらを見る。
かわいい・・・こんな少女にそんなことを言われるような年ではないつもりだが。

「ここはさっきの場所と同じように見えるけど、仮想空間なんだ。
 ・・・そうだねえ、論より証拠。ちょっとこの部屋を出てみなよ」


仮想空間だと?こんなにリアルな世界が?
・・・だが、確かに違和感を感じないわけではない。
映像は鮮明でおかしいところはないように見えるが、
なにか夢の中にいるようで、「空気」が感じられないのだ。

「うおっ・・・!?」

促されるままに部屋の外に出ると、予想外の景色が広がっていた。
このコンピューターがある場所はまぎれもなく市街地のタワーブリッジだったはず。
しかし私が出た場所は中世風の街並みを一望する、王城のバルコニーだった。

「どうかしら?これがフィルトウィズの中心地、グランシュタットの城下町よ。
 ・・・もっとも、今のところ人もいないし町はグランシュタットしかないんだけどね」


私があまりのことに圧倒されていると、
先ほどポテトを諌めた黒髪の女性が私の後ろで得意げに呟いた。

「私はプレコグ。ワールドデザインを担当しているわ。
 あなたはかの有名なジェネシスオンラインのチーフプログラマーだったそうね、期待してるわよ。
 あ、あとこの世界から出たくなったら所持品の『ユグドラデバイス』から操作をすればいいわ」


なるほど、自覚はなかったが自分はこの業界でそこそこの有名人だったらしい。
しかし、今までの自分の仕事がちっぽけに思えるほどこのフィルトウィズの世界は圧倒的だった。
どこまでも広がる空、地平線、葉の1つ1つまで書き込まれた植物。
この世界をこれから自分が広げていくのだ。

「素晴らしいな。これがフィルトウィズか・・・」

しかし、この世界に圧倒されてばかりもいられない。
あの不審なメールを送った相手「N」を探さなければならない。
そして、私の目的が本当に成し遂げられるのかを見極めるのだ。

*

親愛なるアラム殿へ

まずは突然のお手紙を差し上げるご無礼をお許しください。
あなたがこの世界の戦争を憎んでいること伺いました。心中お察し致します。
そこで、わたくしからこの世界から一切の戦争をなくし、
理想の世界を作るプロジェクトをご案内します。
その世界では、あなたが失ったもの全てを手に入れられます。
あなたの返信さえ頂ければすぐにでもお迎え致しますし、
待遇は思いのままです。お返事、お待ちしていますね。

−N−

・追伸
この手紙の内容は他言無用。
もし誰かに話してしまえば夢は潰えることでしょう。


*

正直妻と子を失った今、待遇などはどうでもよかった。
しかし私が戦争を憎んでいることを知っていたこと。
そして戦争のない理想の世界を作れるということ。
そして・・・失ったもの全てを手に入れられるということ。
・・・このいかにも馬鹿げたメールに、私はかけてみたくなったのだ。



・20XX年4月8日

私がプロジェクトに参加して1週間近くが過ぎた。
・・・いや、1週間といって良いのだろうか。
私の感覚からすればすでに2か月程度はここで働いている。
何もかもが新しい世界で、慣れないうちは驚きの連続だった。
その中でも特に重要だと感じたことを3つ挙げておこう。

まず、フィルトウィズ内部での姿は自由に変更できること。
そしてプロジェクト内で名乗っている名前は偽名も多いらしい。
最初私がポテトを見た時は幼い子供だと思ったが、
どうやらあれは「フラウ」という種族の姿を使っているらしい。
他のスタッフもそれぞれ思い思いの姿をしており、
中には現実世界と性別すら違う者もいるようだ。
私も自分のアバター変更に興味がないわけではなかったが、
諸々の理由で現実世界の姿をそのまま使用することにしている。

次に、フィルトウィズの内部では現実世界より遥かに時間が流れるのが遅いこと。
逆に言えば、我々はフィルトウィズの内部にいる間は思考速度が加速しているとも言える。
私は脳科学については素人なので詳しく理解はできなかったが、
簡単に言うと肉体を動かすというプロセス省略と情報処理の最適化により、
フィルトウィズ内部では大幅な作業効率化が可能であるらしい。
プログラミングひとつとってもキーボードをうつ必要はなく、
「こうプログラムを組む」と思えばそれがすぐさま文字になってモニターに表示されるのだ。
(どうやらこれはTCAD・・・「思考制御型入力補助デバイス」と呼ばれているようだ)

よって我々はゲーム開発に関わるほぼ全ての作業を、フィルトウィズの内部で行っている。
フィルトウィズ内部にいながらにしてほぼすべての作業は問題なく行うことができたし、
問題といえば外部の人間と連絡を取った時に返事があまりに遅いことぐらいか。
現在我々は現実世界の12倍の速度で作業しているが、
理論的にはより倍率を高めることも不可能ではないらしい。
もっとも、それは脳への安全検証が十分ではないためこの程度が限界だそうだ。

最後に、どうやらこの開発のメンバーは公募しておらず、
私と同じように「N」なる人物のメールで集められたということだ。
ポテトやプレコグなど他のスタッフにも話を聞いて情報を集めたところ、
いずれもこの業界では著名なゲーム製作者がスカウトされたようだ。
ある者は月数百万ドル相当もの給与のため、
ある者は最高峰のゲームを作るという目的のため、
そしてまたある者は戦争解決という目的のため。

・・・そう、「N」なる人物がメールに書いていたことは本当だったのだ。
私がプロジェクトFWに参加した直後に新たなメールが届いたのだ。

*

親愛なるアラム殿へ

あなたのご決断を嬉しく思います。
「プロジェクトFW」はこの世界から一切の戦争を無くし、
理想の世界を作るために発足したプロジェクトです。
このフィルトウィズ内部で国家間の戦争を解決することを、
すでに主要各国の政府から承認頂いておりますが、
まずは正常な稼働を試すためオンラインゲームという形でテストを行います。
プロジェクトを成功させ、理想の世界を作りましょう。

−N−

・追伸
他のメンバーもあなた同様に私がスカウトしたので、
メンバー同士ではこのプロジェクトについて話して構いません。
ただし、引き続き外部には他言無用です。

*

このプロジェクトが各国首脳の承認済だとしたらとんでもないことだ。
いったい背後にどれだけの組織がついているというのか。
・・・しかしながら、「N」の正体は他のプロジェクトメンバーに聞いてもわからなかった。


「うーん、まあ確かにうさんくさいと言えばうさんくさいけどさ?
 別に私はゲームが作れればそれでいいし、『N』の正体に興味はないな」


「あんまり勘繰りすぎてこのプロジェクトを追い出されてもつまらないしね。
 せっかく私の理想の世界がデザインできそうだからそっちに集中したいわね。
 今こそフラウのフラウによるフラウのための統治を行うのよ!」


・・・こんな調子では協力を期待できそうもない。
このプロジェクトが大規模なバックアップをされているに関わらず、
出資者と思われる「N」の正体がひた隠しにされているのは随分と不気味に感じたのだが。

「くすくす・・・何を難しい顔をしているのかしら?」

より自然に近い植物や水面を再現するためのテストをしていたところ、
横から不意に声をかけられ、私はそちらを見やった。

声の主は、やや赤みがかったウェーブの金髪の少女だ。
大きなリボンとフリルのついたドレスを身に着けており、いかにも「お嬢様」といった外見だ。
・・・もっとも、現実に彼女がそうであるかどうかは定かではないのだが。

「・・・いや、なんでもない。それにしても貴女の『対話成長型AI』には本当に驚いた。
 まだいくつか改善できるところはありそうだが、これほどまでに人間的なAIを私は見たことがない」


「・・・お褒めにあずかり光栄よ。いずれはAIに私たちの補佐もさせるわ」

彼女の名はハカン。チーフプログラマーという立場であり、
プログラマーである私の直接の上司にあたる。
最初はこのような若い女性が上司とは・・・と思ったものだが、すぐに考えを改めさせられた。
彼女がフィルトウィズ内部にいる時間はさほど長くないはずなのに、
その仕事のスピードたるや、まるで人間業とは思えない。

さらに、彼女が考案した「対話成長型AI」は、極めて優れたプログラムだった。
このAIは人間と同じように感情豊かな対話が可能であるばかりか、
今までの経験から自ら判断してさまざまな行動をとることができる。
試しに作ったNPCと会話してみたが、本物の人間とまったく区別がつかないほどだ。
そして、1人1人のNPCの性格に微妙な差異をつけていくことで、
多種多様な「対話成長型NPC」たちが社会を作ることすら可能という話だ。
・・・もうどこかでそれを試したかのような口ぶりは気になったが。

「ところで、やはり君も『N』のメールでスカウトされたのか?
 君のような敏腕プログラマーなら、私も名前を知っているかもしれないが」


「・・・あまりくだらないことに興味をもたないほうがいいと思うわ。
 ついでに答えておくけど、私が開発に関わったゲームはこれが最初よ」


私が問いかけると、ハカンは少し機嫌を損ねたように見えた。
この5日間(体感では2か月だが)でわかったこととして、
彼女は相当に気難しいのだ。狂気を内に秘めていると感じることもある。
・・・もっとも、このプロジェクトに関わっている人間は全員がある方面では天才であり、
天才と狂人は紙一重でもある。自分すら狂っていないとも言い切れるものでもない。

ともあれ、彼女の言うことが本当だとすればとてつもないことだ。
独学であれだけのプログラミング技術を身に着けたとでも言うのだろうか?

「・・・くすくす、じゃあ頑張って。そうね、あなたなら・・・」

ハカンはとんとん、と踊るようにステップを踏みながら私の後ろから去って行った。
・・・彼女の去り際に聞こえたことは、空耳ではなかったはずだ。

「・・・あなたには、真実を知る権利がある。それが幸せなこととは限らないけど」

どういうことだ、と聞こうとして彼女を見やったが、
彼女はすでにグランシュタットの町の方へ出てしまっており、
くすくす、という彼女の笑い声だけがいつまでも私の中でこだましていた。



・20XX年5月3日

私がプロジェクトに参加して1か月が過ぎた。
つまり、体感ではほぼ1年近くが経過したことになる。

待遇については半信半疑だったが、提示された通りの給与が振り込まれており、
いよいよこのプロジェクトが本気であることを再認識させられた。

・・・もっとも外にいる時間よりフィルトウィズにいる時間が遥かに長いため、
金銭の使い道は特に思いつかなかったのだが。

「・・・くすくす、居住用宇宙船でも買えばいいんじゃないかしら。
 今なら家庭用のそこそこいいものが1か月分の給料で買えるはずよ」


本気なのか冗談なのか、相変わらずハカンの言動はつかみにくい。

「ところで、新しいNPC『魔将』のAIはどういうタイプにするんだ?
 運営に関する大きな権限を委ねる以上、慎重に決めなければならないが・・・」


ハカンの言うことを適当にあしらいつつ、仕事の話をする。
「魔将」というのはフィルトウィズの運営を補佐するNPCであり、
なおかつ、フィルトウィズのエネミーの中でも一際強力なボスでもある。
現在のところ1つのサーバーにつき6体の魔将を配置するという案になっている。

というのも現在テストサーバーは世界各国に10か所配置されており、
今後サーバー数はまだまだ増やす予定がある。
そのため、我々プロジェクトのスタッフだけで対処するのは困難になってきており、
どうしても運営を補佐する役目をもつ対話成長型NPCが必要というわけだ。

「基本的にはプレコグから来た案を採用するわ。
 ・・・もっとも、対話成長型AIがどう成長していくかは誰にもわからないけど」


ハカンはやや意地の悪そうな笑みを浮かべる。
対話成長型NPCがどう成長するかわからないというのは、彼女の本音でもあるだろう。
むしろそれを売りにしてるような節もあるほどだ。
対話成長型NPCの性格はある程度の方向性を与えることはできるのだが、
それがどのように変化していくかは周囲の環境によってまちまちだった。
つまり創造した我々にとっても、どういう性格のNPCに成長するかはわからないのだ。

「つくづく、とんでもないプログラムを作ってくれたものだ。
 ・・・ところで、第一魔将ラダマンティスの性格付けが空欄になっているようだが?」


プレコグが意気揚々とまとめたであろう魔将の設定だが、
世界を管理統括する第一魔将ラダマンティスの性格だけは何も書かれていなかった。
他の魔将にはびっしりと文字が書かれているだけに、ずいぶん不自然に見えた。

「・・・『必要ない』からよ」

何が気に障ったのか知らないが、また彼女は不機嫌になったように見える。

「しかし、ラダマンティスは世界の管理統括を行う魔将だろう。
 最も重要な第一魔将の性格が空欄というのは・・・?」


「いいのよ、彼女には対話成長型AIを組み込まないから」

ハカンはくるりと背中を向け、独り言のように言い放った。
・・・彼女?第一魔将ラダマンティスは女性のつもりだったのか。

「・・・ラダマンティスはその役割上、私たちの数千倍以上の情報処理速度があるわ。
 私たちもフィルトウィズにいる間は12倍の速度を得ているけど、その100倍以上よ。
 管理統括に関わる権限をもつラダマンティスに『対話成長型AI』を組み込んで、
 私たちの100倍以上の速度で成長すると、何かと面白くないことが起きると想像できないかしら?」


・・・なるほど、そういうことか。
つまり、ハカンはラダマンティスが我々を超える知性をもつことを恐れているのだ。
だから「対話成長型AI」を組み込まず、成長もさせず、ただ管理だけを行わせたいのだろう。

「・・・本当につくづく、とんでもないプログラムを作ってくれたものだよ」

私がつぶやいたころには、またハカンの姿は見えなくなっていた。
我々運営には座標移動ツールがあるので、いつでも好きな場所に移動できる。
おそらくお気に入りのダンジョン「天体観測所」にでも向かったのだろう。
・・・機嫌が悪いまま去っていったので、当分彼女の相手には難儀しそうだ。やれやれ。



・20XX年7月1日

プロジェクトが始まってから常に忙しい時期が続いていたが、
我々は正念場とも言える時期にさしかかりつつあった。
というのも、今日から2か月間のβテストが開始されるのだ。
町やダンジョンもこの間に大幅に追加され、
この時点でゲームとしてもかなりのボリュームと言っていい。

テストプレイヤーは一般公募を中心として、サーバー1つにつき1000名。
応募件数があまりに多かったため、もう少し人数を増やしても良いのでは?
という意見もあったのだが、万一の事故などに備え最初は少人数で行うことになった。
ゲーム内のことは魔将にほぼすべてを任せる形になったので、
それがうまくいくかどうかのテストも兼ねている。
あまりプレイヤーが多すぎると彼らを混乱させることになるだろう、という配慮のもとだ。
NPC達を管理統括する魔将たちにもαテストの間にかなりの変化があった。


まずαテスト中期の段階で強力すぎた第四魔将ムスペルニヴルは弱体化させ、
第四魔将イグニスと第四魔将デスの2体に役割と能力を分離させた。

それと同時期に第五魔将ウェルスは魔将の任を一旦退いた。
経済活動は第五魔将から教えを受けたNPCが担当して、
それを陰ながら第六魔将バロールが調整を行うという形をとることになった。
これは開発側から第五魔将ウェルスに働きかけたわけではないにも関わらず、
全てのサーバーで同様の形になった。第四魔将の分離と密接に関わっている出来事なのだろう。
もともと経済活動の管理を行う第五魔将ウェルスは人間との戦いを好まない性格であり、
そのまま配置しても人間に脅威を与える存在としては不適であった。
結果的には都合のいい形になったと言えるかもしれない。

また、αテスト後期に第三魔将ユグドラシルの申請により第七魔将ザバーニーヤが誕生した。
第七魔将ザバーニーヤには現在明確な役割を与えられていないのだが、
彼女の気まぐれかつ残酷さを兼ね備えた性格は人間に脅威を与える魔将として適していた。
これにより魔族のリーダーでありNPCのリーダーでもある魔将は差引で7体配置されることになった。

*

「・・・いよいよ始まったな。どうだ、うまくいくと思うか?」

私は期待と不安を感じつつもハカンに話しかけた。
・・・だが、彼女の反応は予想以上に素っ気ないものだった。

「・・・そうね、概ねうまくいくんじゃないかしら」

興味がない、とばかりに新しいプログラムを作り続ける彼女。
今度はハウジングシステムの制作に着手しているようだ。
おそらく彼女の手にかかれば根幹部分は現実世界で1日とかからないだろう。

「とはいえ、AIのみが構築した社会に1000人ものプレイヤーを放り込むんだぞ?
 AIがプレイヤー・・・『ワンダラー』との差異に違和感を感じて暴走しないとも限らないだろう」


「ワンダラー」というのはフィルトウィズでの冒険者のことだ。
7体の魔将が率いる魔族たちにフィルトウィズの住民は苦しめられており、
異世界からやってきた英雄である「ワンダラー」がそれを迎え撃つというのが、
フィルトウィズに設定されたストーリーだ。まあ王道といっていいだろう。

「そのあたりはこちらで十分な試験をすませてあるわ。
 ・・・心配事があるとすれば、魔将があっさり倒されたりしないかぐらいかしら。
 せっかくの最強クラスのボスですもの、簡単に倒されたら悔しいじゃない?」


ハカンは小さな虫などをいじめる意地悪な子供のように微笑む。
・・・彼女はどうも未成熟というか、人を楽しませるより自分の嗜好を満足させるきらいがある。
ゲームデザイナーのポテトから渡されたデータを概ね守りはするが、
エネミーの思考パターンなどをわざと意地悪く設定したりするのだ。
そのまま実装するとあまりにプレイヤーにとって理不尽な殺され方をするため、
私が秘密裏にある程度の再調整を行ったりもしているのだが。

「・・・たとえテストという形であれゲームとして出す以上、
 プレイヤーキャラを殺すことを目的とするべきではないと思うがな。
 だいたい、君とポテトの用意したデータは強力すぎるし当分魔将が倒されるとは思えない」


私はたしなめるようにつぶやいたが、彼女は意にも介さぬといった様子で返事をする。

「いいのよ、倒せないほど強大な敵がいることでプレイヤーは世界の広さを感じるのよ。
 極端な話、広く美しいフィールドを用意してもエネミーがプチリンしかいなかったらどうなるかしら?
 その世界はとても退屈になってしまうし、印象に残らないゲームになってしまうわ。
 それに理不尽なぐらい強い敵の存在によりプレイヤー同士の情報交換も円滑になるのよ」


なるほど、全面的に賛成はできないが一理ある。
デザイナーのポテトも似たような考えをもっているらしいし、
プログラマーの私があまりしつこく反対意見を出すのもおかしな話だ。

「それでね・・・強大な力をもつ魔族が、自分たちの領域で手をこまねいてるのはおかしいと思うの。
 だから放っておくと魔族が人間の町を滅ぼしてしまうということにしようと思うのよ」


また彼女はさらっととんでもないことを言い出した。
せっかく作った町を滅ぼしてしまっては、うかうか拠点にもできない。

「もちろん、常に魔族が町まで襲ってくるわけじゃないわ。
 現実世界で2週間に1回、つまりゲーム内で半年に1回。
 魔族が大規模な侵攻を行うイベントを作るのよ。
 プレイヤーが総力を結集すればギリギリ撃退できる程度の戦力を構成して、
 そこで戦果を挙げたプレイヤーはランキングに掲載されるようにするわ」


「・・・なるほど、ジェネシスオンラインの『攻城戦』のようなイベントか。
 そういうことであればいいかもしれないな。しかしNPCに被害が出る可能性は・・・」


通常のゲームのNPCは、突然いなくなったりはしない。
宿屋や酒場が急に閉店することもないし、
町の名前を教える人物(ここは○○の町だよ)は常に入口近くにいる。

しかし、フィルトウィズにおいてはワンダラー以外のキャラクターは
自分で考えて自分で行動するのだ。儲からないと思えば店をたたむし、
長期間にわたりサーバーを稼働させ続けるといずれは老いて死んでしまう。
当然、魔族との戦いに巻き込まれれば戦う力のないNPCは死んでしまうだろう。

「町の中まで攻め込まれたら、もちろんNPCは死んでしまうわ。
 ・・・でも、そのほうがやる気もおきないかしら?
 ああ、私たちはほんとうにこの世界を救わなきゃならないんだって思うでしょ?」


彼女は事もなげに、にこにこと笑いながら言い放つ。
・・・つまり、ハカンはこう言っているのだ。
「全力でフィルトウィズの世界を守ろうとしなければ滅ぼしてしまうぞ」と。

*

・・・それからほどなくして、2週間に1度の大規模戦闘イベント「大侵攻」が実装される。
当初の私の不安とは裏腹にこのイベントはスリリングさが好評で、
プレイヤーも本気で町を守ろうとしたため、幸いにも滅びる町はなかった。

それと同時にフィルトウィズのNPCにも変化が起こり始めた。
プレイヤー達「ワンダラー」のことを英雄として崇めるようになっていったのだ。
プレイヤーはそれにますます気分をよくして、フィルトウィズにのめり込むようになっていった。

「・・・ここまでハカンが考えていたとしたら恐ろしいことだが・・・」

フィルトウィズの盛り上がりにプロジェクトのメンバーも沸いており、
私も目に見えた結果が出たため安堵したのだが、同時にある種の危惧も感じていた。
現実よりゲームの世界を重視することによって生まれる、
いわゆる「ネットゲーム廃人」問題はこの手のゲームについてまわるのだが、
このデザインはむしろそれを推奨しているような傾向すらあるのだ。
そう、まるで現実よりフィルトウィズで生きることを選ばせるような・・・

「くすくす・・・何か考え事かしら?」

いつの間にかハカンが私の後ろで笑っていた。
その笑顔に若干薄ら寒いものを感じたのは、私の気のせいなのか。



・20XX年9月2日

相も変わらず私は泊まり込みでβテストのデータチェックを行っていた。
10月1日よりフィルトウィズはめでたく正式稼働することになったのだが、
バグとりや細かいバランス調整、新たなクラス実装などやるべきことは山積みだ。
ある程度は第六魔将バロールが報告をや意見をしてくれるのが本当に助かっている。
バロールは主要各国のサーバーごとに1体ずつ配置されているため、
実質的には有能な部下が10人以上増えたようなものだ。

ちなみにゲーム内の「大侵攻」は季節の変わり目で行われるのだが、
奇しくもβテスト最後の「大侵攻」は全サーバー8月31日に一斉に行われることとなった。
私もいちプレイヤーとして「大侵攻」の防衛戦に参加したのだが、
戦績上位のキャラクターの強さには目を見張るものがあった。
運営である我々よりうまく戦うもので、彼らの情熱には驚くばかりだ。

「ふむふむー、今回はとうとうアイングロースも討伐されちゃったかー。
 こりゃあ年内に魔将討伐に成功するPTが出てくるかもしれないね」


隣でチーフデザイナーのポテトが、指を顎に当てながらこくこくと首を振る。
アイングロースというのは『単眼の巨神』アイングロースというネームドエネミーで、
多数存在するネームドエネミーの中でも上位といっていい実力をもっている。
・・・むろん7体の魔将ほどではないのだが。


「プレイヤーというのはいつも開発の想定を超えてくるものだ。
 1人1人の強さは有限でも、彼らは知恵を結集させてくるからな」


「ジェネシスオンラインでならしたアラムが言うと説得力あるねー。
 ま、チーフプログラマーどのが不機嫌になるからネームドはちょっと強化しておこうか」


ポテトはにやりと笑うとすたすたと歩いたあとぴょんと跳ね、
テレポートエフェクトの光を残して姿を消した。
・・・やれやれ、ハカンの気難しさは他の部署でも有名らしい。
なにせ彼女は手ごわいエネミーが倒されるとあからさまに不機嫌になるのだ。

「まったく、ハカンの奴にも困ったものだ。誰のためのゲームか、というのを・・・」

「私がどうかいたしましたの?」

不意に声がしたので振り向くと、にこにこと笑っているハカンがいた。

「い、いや。ところで今回の大侵攻のデータはもう見てるのかい」

柄にもなく面喰ってしまい、我ながらややたどたどしい物言いになる。
にこにこと笑ってはいるが、彼女の笑顔は読みにくい。

「・・・見たわ。まさかこうも早くアイングロースがやられるなんて・・・
 チートでも使ってるんじゃないかしら・・・そんなことはほぼ不可能なはずだけど・・・」


ひとまずは興味がありそうなことで話を逸らそうと思ったのだが、どうやら逆効果だったようだ。
ハカンは明後日の方を向きながらぶつぶつと喋りだす。

彼女はチートを疑っているようだが、おそらくそれはない。
彼女の言う通りフィルトウィズはチート行為を防ぐために、
クライアント、脳波チェック、サーバーと3段階で強固な防衛を行っている。
クライアントに改造の形跡があればすぐさまログアウトさせるし、
脳波チェックで異常が見られても、サーバー内で不審な動きがあっても同様だ。

「念のためアイングロースの討伐に参加したプレイヤーのログを追跡しておこうかしら。
 そうね・・・特にソーサルギアのキャロル。ドライブギアのミナヅキ。
 サスライのミフネ。アカシャアーツのプレコグ・・・って、これアイツじゃないの!
 開発のくせによくもまあプライベートでこんな討伐PTに加わって・・・」


どうやらプレコグはプレイヤーとして「大侵攻」の上位パーティーに参加していたらしい。
プレイヤーとしての参加を禁止されているわけでもなく問題ないのだが、
ハカンとしてはいつも無理難題を押し付けてくるプレコグに、
自慢のエネミーが倒されたことがよほど腹に据えかねたらしい。
・・・まるで子供だとは思ったが、それは口に出さぬが花というものだろう。

「どんな強力なエネミーだっていずれは倒されるものだ、
 悔しがるより彼らのプレイングを参考にしたほうが建設的だろう。
 いっそのこと何人かを公式テストプレイヤーとして採用して、
 エネミーに関する意見をもらうのもいいんじゃないか?」


実際、彼らほど熱心にプレイしてくれる存在は貴重なのだ。
コアユーザーの意見ばかり取り入れるわけにもいかないが、
ネームドエネミーの動きに意図しない穴が存在するのなら、
それを埋めるためにも重要だろう。

「・・・まあ、そのあたりはポテトと相談しておくわ。
 次回の大侵攻はそろそろロジエモールに出てもらうべきかしら・・・」
 

ハカンはまたぶつぶつと言いながらテレポートエフェクトを残して姿を消してしまう。
・・・この調子では「大侵攻」に魔将が駆り出される日も近そうだ、やれやれ。



・20XX年10月15日

フィルトウィズは10月1日からの正式稼働後もおおむね順調に進んでおり、
ちょうど第1回の大侵攻が無事終了したあとの軽い打ち上げが行われた。

「みんなお疲れさまー!おかげで正式サービス第1回の大侵攻も無事終了!
 ま、この後も実装しなきゃいけないことはたくさんあるんだけど、
 今日だけは現実世界で丸一日、みんなゆっくり休んでもらうよ!
 それじゃ、プロジェクトのますますの発展を願って・・・かんぱーい!」


ポテトが乾杯の音頭をとると、室内にグラスの音が響き渡る。
グランシュタット城下の高級レストラン「希望の都」は、
我々プロジェクトスタッフの貸し切りの宴会場となっていた。

それも当然で、フィルトウィズのスケジュールでは6の月23日〜24日の
「大侵攻」が終わった後、7の月1日は必ずメンテナンスとなる。
その間プレイヤーであるワンダラーはログインができないので、
気兼ねすることなく貸し切りにできるというわけだ。
・・・打ち上げの会場までフィルトウィズの内部というのは、
本末転倒な気もして苦笑を禁じ得なかったところではあるが。

「そして今回はサプライズゲストを呼んでいるわ!
 じゃじゃーん、ザバニヤちゃんかもーん!」


・・・ザバニヤ?まさか第七魔将ザバーニーヤか?
あまりに予想外のセリフに我ながら間抜けな顔をしていたと思う。
すでに酒の入っているプレコグが店の中央にある小さなステージに立ち、
舞台袖のほうに向けて両手をひらひらとさせる。

「何がザバニヤちゃんかもーん、よ!
 私は昨日と一昨日の大侵攻でめっちゃくちゃ疲れてるんだけど!?」


舞台袖から現れた真っ白いフラウが、登場と同時にプレコグに飛び蹴りを食らわせる。
蹴りを顔面に食らったプレコグは恍惚の表情を浮かべながらぶっ飛ばされる。

「まあまあ、ここは第1回の大侵攻を担当したザバーニーヤを
 みんなで労おうって集まりでもあるから、肩肘はらず楽しんでいってよ。
 いろいろと協力してくれる魔将のみんなはもうスタッフみたいなもんだからね」


「どうせ労ってくれるんならパパとママ・・・いや、なんでもないわ。
 よーしアンタたち!スターフルーツパフェ山盛りで持ってきなさい!」
 

ザバーニーヤの表情は一瞬曇るが、すぐにいつもの調子で周囲をこき使いだした。
レストランのスタッフはNPCだが、彼女が魔将とわかったら腰を抜かすことだろう。
そうならないようにある程度私がフォローすることにしたのだが、
打ち上げなのに心が休まらないのには参ったものだ。やれやれ。

*

フィルトウィズで飲む酒というのは不思議なもので、
実際にはアルコールを摂取していないにも関わらず心地よい状態にしてくれる。
プレコグやポテトなどは最早酩酊状態で、
ザバーニーヤを巻き込み3人でラインダンスをしている始末だ。
周囲もそれに対して声援を送ったりヤジを飛ばしたりしている。

「打ち上げなのにあなたは壁に向かって黙々と飲んでるのね。楽しくはないのかしら?」

いつの間に来ていたのか、ふわりと髪とドレスをなびかせながらハカンが隣に腰をかける。
プレコグたちほどではないが彼女も酒が入っているようで、顔が少し赤らんでいる。

「いや、これでも楽しんでいるんだ。君は気にせず別のスタッフのところに・・・」

そこまで言ったが、ハカンが他のスタッフと親しげにしているのを見たことがない。
彼女への評は腕は立つが気難しい職人といったもので、
他の部署ではどちらかというと避けられている雰囲気だ。
それでもお構いなしに絡んでくるポテトのような奴もいるのだが、
生憎彼女は人気者で、今もステージで引っ張りだこである。
思えば、ポテトのそういうところがチーフデザイナーとしての資質なのかもしれない。

「そう、じゃあ私もこれで楽しんでるから気にしなくていいわ」

意地を張っているかのようにそう言って、酒をあおりだした。
・・・いや、実際に意地を張っているのだろう。
何に対してなのかはよくわからないが。

「そうか・・・なら構わないのだが。なんにせよお疲れ様、最近君も疲れているようだったからな」

フィルトウィズの中で疲れや憔悴を相手の表情から読み取るのは難しいのだが、
最近のハカンは明らかにオーバーワークのように思えた。
あれだけの量の仕事をこなしているのだから無理もないのだが、
一人でつぶやいていることや、心あらずの状態で遠くを見ていることが多かった。

「そうね・・・そうかもしれないわ」

彼女はこちらを向かず、グラスに僅かに残っていた酒を飲み干した。
長い付き合いから(といっても現実では1年足らずなのだが)
彼女は誰にも言えないものを多く抱えているように感じる。
恐らくそのためいまだに心を許せる存在がいないのだろう。

「・・・少し迷っているの。このプロジェクトがうまくいって、理想の世界ができて・・・
 それが本当に人類のためなのかしら。争いも生物の進化には必要なんじゃないかしら」


「人類のためになるかどうかなんて、君が考える必要があるのか?
 俺は俺のためにプロジェクトに参加しているし、君もそれでいいだろう。
 ・・・君がどういった経緯でこのプロジェクトに参加したのかは知らないが、
 俺は残る人生を妻と娘への罪滅ぼしに捧げると決めた。あくまで個人的なものさ」


酒が入っているためか、いつもより饒舌になる自分に気が付く。
これすら脳への信号を操作された結果だというのだから、恐ろしいものだ。
・・・もっとも、喋っていること自体は偽らざる本心のつもりだが。

「・・・自分のため」

「そうさ。実のところテロで妻と娘を失ったときは自分も死のうと思っていた。
 彼女たちのいない世界なんてなんの価値も残っていないとな。だが・・・」


私もまたグラスに残っていた酒を飲み干す。

「そこで俺まで死んでしまっては妻と娘は完全な無駄死にだ。
 だったら、夢物語だと思われようと争いのない世界を作れるようあがいて生き、
 死んだ彼女たちの命が意味のあるものだったと思いたい。
 ・・・だから、今はその機会を与えてくれた『N』に感謝している。」


吐き出すように一気にしゃべる。いつの間にか口調に熱がこもる。
・・・こんな自分がいたことに多少の驚きを感じたが、
思えばジェネシスオンライン開発のころは、自分もまた理想に燃える青年だったのだ。

「・・・私も、とうさまとかあさまを早くに亡くしたわ。
 こんな世界なんて無くなってしまえばいいと思ったわ。でも・・・」


ハカンが自分の境遇について話すのを初めて聞くことに驚きを感じたが、
その内容にもまた驚いた。ハカンもまた自分と同じく肉親を亡くしていたのだ。

「こんな世界でもあなたのように価値を見出すことはできる。
 ・・・少し気が楽になったわ。ありがとうアラム」


「礼を言われるようなことはしていない。それにな、ハカン。
 例え世界から争いが無くなることがなかったとしても・・・」


私はステージで歌い踊る3人と、
それに声援を送るプロジェクトのメンバーを見やる。

「この美しい世界を創る手助けができた。
 それだけでも、俺はそこそこ満足しているんだ」


ハカンもステージに目をやり、くすりと笑う。
その笑顔はいつもの底が見えないようなものではなく、美しい笑顔だった。



・20XX年12月10日

オンラインゲームには季節イベントがつきものと言える。
夏には海開き、ハロウィンには収穫祭イベントがあり、
そして一年の最後を締めくくるのはクリスマスイベントだ。
通常フィルトウィズと現実世界では全く別々の時間が流れているのだが、
こういった大きなイベント中は現実世界に合わせ長期間続くことがある。

もっともこの手のイベントは宗教上の問題が絡んでくるので多少ややこしい。
私の出身国では異教徒の祝祭であるとしてクリスマスを祝うことが禁じられていたが、
こういった国のサーバーではやはりクリスマスイベントは断念せざるを得ない。
世界に発信するゲームを作る以上、私自身は柔軟な考えを持つことにしているのだが。

「うーん、私たちの作った美しい世界に現実世界を反映させるのは、
 ホントはあんまり好きじゃないんだけどねー。大衆に迎合してるみたいで」


「まあまあ、ユーザーが楽しんでくれるのが一番だよ、うんうん。
 引きこもっててもクリスマスの空気が味わえるのがネトゲのいいとこだしねえ。
 とりあえずザバーニーヤとデスにはミニスカサンタ服でプレゼント配ってもらおうか♪」


プレコグはぶつぶつと文句を言っており、ポテトはそれをなだめている。
まあいつもの光景であるといえよう。

*

正式稼働から2か月、順調にプレイヤー数も展開国も増え、
フィルトウィズはまさしく破竹の勢いだった。
普通であればサーバーが増えることにより問題点も数多く噴出するのだが、
そこは魔将たちがうまく調整してくれてるようで、問題点を簡潔にまとめてくれる。
第四魔将デスや第七魔将ザバーニーヤは運営上はあまり役には立ってないようだが、
彼女たちはその容姿からプレイヤーに人気があるので、各種イベントでは引っ張りだこだ。
(NPC達は魔将のそっくりさんだと思うようにしてあるが)

・・・しかしながら、まったく問題がないわけではなかった。
それどころかプロジェクトが始まって依頼の危機と言っていい。
ハカンの様子が明らかにおかしく、作業に支障をきたしているのだ。
12月に入ったあたりから明らかに心ここにあらずで、
その様子は何かに怯えているようにも見受けられた。

「ハカン、君がスランプなんで珍しいな。普段はとてつもない速度で仕事を終わらせて、
 フィルトウィズのあちこちを悠々と散歩してるというのに、まだ進捗がこれだけなんて」


「・・・」

ハカンからの返事は来ない。ホロモニターに並んだコードを眺めながらぼんやりしている。
このゲームはハカンの超人的なプログラミング能力によって成り立っているので、
彼女の仕事が止まってしまうと制作が進まなくなってしまう。
いかに人数を増やそうがハカンの代理が務まるわけでもないので、
プロジェクトのメンバーは嵐が治まるのを祈るが如く、彼女の復調を待つしかないのだ。

「・・・この季節が嫌いなの」

やっと喋ったと思ったら、よくわからない理由だった。
ハカンもクリスマスを祝わない国の出身なのかと思ったが、それも違和感がある。
確か好物はスコーンとティーだと言っていたし、
この前のパーティーでも(ゲーム内とはいえ)豚のローストを行儀よく食べていたのを見た。
私と同じ国なら豚を食べないはずなので、欧州連合の人間のはずだ。とすると・・・

「まさか君ともあろうものが、クリスマス中止デモや、
 リア充爆破キャンペーンに参加するような人間だったとは思えないが・・・」


「・・・私も、あなたがその手の冗談を言う人間だったとは思わなかったわ」

そう言ってまたムスっと遠くを眺めてしまう。
・・・軽く冗談を言ってみたが、どうやら逆効果だったようだ。
本当に彼女のご機嫌とりは難しい。

だが、この季節が嫌いだというのは、彼女の過去に関係があるのだろう。
彼女は両親を早くに失ったと聞いたし、恐らくそのあたりのナイーブなところなのだ。
だとすればこれ以上突っ込んだことを聞くのは難しいし、待つしかないのかもしれない。

「気分を害したならすまない。だが、プロジェクトには君の力が必要だ。それに・・・」

「・・・それに、何かしら」

「君は、プログラムを組んでる時の姿が一番素敵だと思うからね」

「・・・!」

彼女は少し驚いた顔をしたかと思うと、ぷいっと後ろを向いてしまった。
・・・やれやれ、これは本格的に怒らせてしまったかもしれない。
これ以上彼女の機嫌を損ねる前にさっさと退散したほうがよさそうだ。

*

「見てたよアラムぅ〜?さすがにお姫様の扱いを心得てるねえ。
 もうじき彼女の調子も上向きになるんじゃないかな、うんうん」


彼女が戻ってくるまでに出来るだけのことをしておこうとホロモニターに向かっていると、
ハカンの不在を見計らったポテトが、上機嫌に近づいてうりうりと肘を押し付けてくる。
ポテトの背丈だと肘を押し付けても、せいぜいこちらの腰ぐらいしかないわけだが。

「からかわないでくれ。そもそも怒らせただけだと思うんだが・・・
 今更ながら自分のユーモアセンスのなさを恨めしく思うよ」


苦笑しながら答える。事実、ポテトに褒められる要素などないように思える。

「いやいや上出来上出来!私も彼女がプログラム組んでる時は輝いてると思うなー。
 なんていうか、目が違うよね。プレコグがフラウを愛でる時と同じで燃えまくってるよ」

・・・その例えもどうなのか。
だが、同じことを考えている者がいるようで安心した。
年始にはまだ僅かだが休みもとれるし、
彼女がまだ怒ってなければ現実世界のティーブレイクにでも誘ってみるとしよう。



・20XX年12月24日

不調のハカンを励まして(?)から2週間が過ぎた。
クリスマスということで現実世界の町は浮かれているのだが、
残念ながら我々は仕事柄そういうわけにもいかず、
相変わらず本社に泊まり込みだった。

もっとも休む時間が全くないかといえばそういうわけでもなく、
むしろスタッフは好んでフィルトウィズの内部にいるといっていい。
中心地であるグランシュタットの中央噴水広場には巨大なクリスマスツリーが設置され、
グランシュタット城下町全体がまさにお祭り騒ぎといった様子だ。

「ハカンもあれを見れば気が紛れると思うんだがな」

あれからハカンは多少は立ち直ったようで、
年始に予定しているアップデート分の仕事は無事完了した。
しかしながらいまだに彼女の気はまだ晴れないようで、
以前のように生き生きと世界を創っているとは言い難い状態が続いている。

「おっとアラム、あなたも休憩?」

自分の席を立って背伸びをしているとプレコグに声をかけられた。
ホロモニターはいつでも呼び出し可能なため、
実際に席で作業をする必要はないのだが、
私はオンとオフの区別を明確にしたいので仕事中は席につくようにしている。

「ああ、ちょっとゲーム内の様子を見ておきたくてな。
 ・・・そういえばハカンを見なかったか?」


「あら、今日もお姫様のご機嫌とりかしら?
 ・・・ふむふむ、ログインはしてるようだけど場所は非通知ね。
 少なくともスタッフルームにはいないわよ、さっきぐるっと回っていなかったから」


プレコグは指で「ぐるっ」という動きを表現しつつ答える。
・・・とするといつものあそこだろうか。

「ありがとうプレコグ、それでおおよその見当はついた。
 俺も少し席を空けるんで何かあったらデバイスにメールを送ってくれ」


「むふふ、そんな野暮なことはしないわよー。
 私もフラウと遊んでる時に仕事のメールなんて欲しくないしね」


プレコグは両手の人差し指をくりくりと合わせ、いちゃついてるような表現をする。
どうも私とハカンの間柄を誤解している連中が多いようだ。
・・・いちいち説明するのも面倒なので弁解はしないが。

「何か誤解があるようだが・・・情報提供には感謝する。では、良いクリスマスを」

にこにこと手を振るプレコグにこちらも軽く手を振り、
座標転移コマンドを実行した。もちろん行先は・・・

*

第七魔将ザバーニーヤの居城でもあるダンジョン「天体観測所」は多くの区画に分かれている。
外側をぐるっと一周可能な外周部分、魔族の居住スペースや研究所になっている子衛星、
侵入者であるワンダラー達を迎え撃つ螺旋階段「天かける道」などが存在する。
そして、その「天かける道」を上り切った先にあるのが、
フィルトウィズで最も美しいと専らの評判である「宇宙庭園」だ。

この「宇宙庭園」は白を基調に、いわゆる「極楽浄土」をイメージした作りになっている。
プレコグを始めとしたワールドデザイナー勢とグラフィッカーの徹底した拘りが反映されており、
白い蓮の花が咲き乱れる池の中央に、崩れかけた神殿のような建物が作られている。
この崩れかけ具合がまた、退廃的な美しさを・・・

「こんなところに何のご用かしら?」

聴きなれた声で思考を中断させられる。
声の方に顔を向けると、神殿の方から1人の少女が歩いてくるのが見えた。
・・・それはいつも見慣れているはずの少女だったのだが、
美しい金髪が風になびき、その風に乗って蓮の花びらがひらひらと舞う様子は、
まるで宇宙庭園に住む天使のようだと思った。

「い、いや、用と言うほどでもないんだが・・・君はせっかくのイベント中なのに、
 グランシュタットの城下町の様子を見に行かないのか気になってね」


一瞬その姿に年甲斐もなく心が跳ね、僅かに言いよどんでしまう。
その間に彼女はつかつかと歩み寄って来たと思うと、
神殿への道の途中にぺたんと座り込み、こちらを見ずに返事をした。

「前にも言ったけど、私はこの季節が嫌いなの。
 ・・・もっとハッキリ言えばクリスマスって、嫌いなの。
 ここならクリスマスの飾りつけもないし、余計なことを考えずにすむから」


・・・やはりそうか。前回のように冗談を言えるような雰囲気でもない。
思い切って前々から気になっていたことを聞いてみることにした。

「答えたくなければ答えなくてもいいのだが・・・」

ハカンは顔だけこちらに向け、促すような視線を送る。

「単刀直入に言おう。君の力になれることはないかと思ってね。
 君がどのような過去を背負っているのかは想像する術もないが、
 背負っているものを分け合うことで楽になることがあるかもしれん」


喋りながらハカンと少し距離をとった場所に、私も腰をかける。
仕事もそうだが、彼女は心に大きなものを抱えすぎているように見受けられたのだ。
私はいずれそのことが、大きな爆発を起こしそうだという危機感を感じていた。

「・・・そんなことを言ってくる人はスタッフでは初めてだわ。
 現実世界ではうんざりするほど言われたから、
 その手の話をする人間は信用しないことにしていたけれど」


ハカンの現実世界に関する話を聞いたのも初めてだ。
うんざりするほど言われたということは、よほどの美少女なのか。
あるいはもしかすると、よほどの金持ちなのかもしれない。
たとえば彼女は両親を早くに亡くしたと聞いたが、その両親から莫大な遺産を引き継いとしたら、
今まで音沙汰もなかったような親族が急に親切になったりもするだろう。

「俺を信じるも信じないも君の自由だ。だがそろそろつきあいも長い・・・
 おっと、現実では1年に満たないんだったな。もう10年近くは経っているように感じたが」


「そうね。あなたを信頼していないというわけじゃないわ。でも・・・」

「でも・・・?」

「・・・私のことをすべて知れば、あなたは私を軽蔑するわ。だって私は・・・」

そこまで喋るとハカンは押し黙り、またそっぽを向いてしまった。
またも沈黙が流れ、風の音ばかりが耳につく。
この宇宙庭園は屋内にも関わらず、宇宙風と呼ばれる風が通り、
木々がざわめき花びらも飛んでくるようになっている。

「ならば多くは問わない。・・・が、一つだけ言わせてくれ。俺は君を尊敬しているんだ」

「・・・あなたが、私を?」

「ああ、同じプログラマーとして君ほど尊敬に値する人物はいない。
 もちろん君の考え方全てに賛同するというわけではないが・・・
 その技術とたゆまぬ努力、理想の世界を創るという強い意志を尊敬している。だから・・・」


ハカンは再びこちらを向く。
風で金髪が横になびく。

「この先何が起ころうと、俺が君を軽蔑することはない。
 例えどこかで道が分かれようとも、俺は君を偉大なプログラマーとして記憶に焼き付けよう」


ハカンの目を見つめてそう言い切る。
ひときわ強い風に乗って飛んできた、蓮の花びらが彼女の頬に張り付いた。

「私だって・・・」

ハカンは頬に張り付いた花びらを指でとり、再び手を放す。
花びらはしばらく風に乗って飛んでいたが、少しすると池の水面に舞い降りた。

「ずっと前からあなたを尊敬してたのよ。あなたは知らないでしょうけど」

ハカンはようやく、ほんの少し笑う。
その目尻には、僅かに涙が見えたような気がした。

「ずっと前?・・・というとプロジェクトに来た頃からってことかい」

ハカンはすっくと立ち上がって微笑む。

「違うわ、そのずーっとずーっと前からよ!」

彼女はそう言うとふわりとスカートをなびかせ、踊るように神殿のほうへ走り出した。

「なに、それは一体いつ・・・って、おい!まだ話の途中だぞ!」

「もうすぐクリスマスが終わっちゃうから、最後にクリスマスらしいことをしましょ。
 一人前の男性なら当然、女性をエスコートして踊るぐらい簡単よね?」


そう言って彼女は神殿を舞台に、一人でくるくると踊り出した。
やれやれ、結局肝心なところは何も聞き出せなかったが・・・
今日ぐらいはまだ誰も到達していないダンジョンの最深部で、
ダンスパーティーとしゃれこむのも悪くはないだろう。
私は彼女を追いかけて、神殿の方へと歩いて行った。

*

「それとね、アラム」

「まだ何かあるのか?」

「私、今日が誕生日なの。プレゼント、用意しておいてね」

彼女は唇に指を当てて、悪戯っぽく微笑んだ。



・エピローグ

我々が地球を追われてから3年が過ぎた。
理想の世界を創るという我々の目的は、いともあっさりと潰えてしまった。
私に残された最後の地球は、この小さな居住用宇宙船だけだ。

しかし、私にはひとつの心当たりがあった。
私に手紙を送った「N」なる人物。その正体と目的。
そして、地球を滅ぼしたモノ。

*

紆余曲折あったが私は天体観測所への入り口となる、
虚空都市ガンダルヴァの「星間ステーション」へとたどり着いた。
今のエクスプローラーの能力で天体観測所に向かおうとする、
無謀な人間は他にいないと思われたので、間違いなく私が一番乗りだろう。

「やっぱり来てくれたわね、アラム」

星間ステーションに足を一歩踏み入れると、懐かしい声がした。
前方のホロモニターに、金髪にドレスの美しい少女の姿が映る。

「この先の天体観測所に、あなたの望む全てがあるわ。
 あなたの望みを叶える、遥かなる新しき星が」


彼女は、自分がここに来た時にメッセージが流れるよう設定したのだろうか。
それとも、最初にここに来るのが自分だと信じていたのだろうか。
幻の中の彼女は喋り続ける。

「このフィルトウィズの人間の力を結集させるの。
 そうすれば必ず、新しき星へとたどり着けるわ。そして私を・・・」


そこまで言うと音声は途切れ、映像も消えてしまった。
だが、何を言おうとしたのかは唇から辛うじて読み取ることができた。

「わかっているさ。俺はそのために来た」

フィルトウィズの人間はまだまだ弱く、頼りない。
いまも「大侵攻」を防ぐのに精一杯で、こんなところまで探索に来る余裕はないだろう。

だがいつか必ず、力あるエクスプローラーがこの星間ステーションを訪れるだろう。
彼らと力を合わせ、必ず私の目的を達成してみせる。
私はきびすを返し、星間ステーションを後にした。

「必ず君を、助けに行く」



―完―

written by marsh

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